おまぬけ活動日誌

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2007年03月17日(Sat) ひさしぶりにいい天気 [長年日記]

隣りのお山にある望遠鏡を見学させてもらった。やっぱり手作りっていいなあ。じゃないか、手作りで最先端の結果を期待できるアイディアを出せるのはすごいよなあ。

どっちつかずの子供になれ! --- 私が子供をアメリカで育てようと決意しつつある理由 (Tech Mom from Silicon Valley)

海部美知さんはお子さんをアメリカで育てようと決意しつつある、とのこと。ずんこはどうしようかな。

海部さんの文中より、直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ。 (My Life Between Silicon Valley and Japan)も大事だよね。頭ではわかってても実行するのは難しいのだけど。

[memo] フリーソフトウェアの定義 GNU プロジェクト - フリーソフトウェア財団 (FSF)

Richard Stallmanさんの講演のメモをそろそろまとめたい。まとめられるところから書いていくことにします。

とりあえず、自由の定義から話がはじまりました。上記のサイトに日本語訳があったので、そこから引用すると、

「フリーソフトウェア」のフリーは、ユーザがソフトウェアを実行、複製、頒布、研究、変更、そして改良する自由のことを指しています。より厳密に言えば、「フリーソフトウェア」のフリーとはそのソフトウェアのユーザに与えられる 4 種類の自由を意味しています。

  • 目的を問わず、プログラムを実行する自由 (第 0 の自由)。
  • プログラムがどのように動作しているか研究し、そのプログラムに あなたの必要に応じて修正を加え、採り入れる自由 (第 1 の自由)。 ソースコードが入手可能であることはこの前提条件となります。
  • 身近な人を助けられるよう、コピーを再頒布する自由 (第 2 の自由)。
  • プログラムを改良し、コミュニティ全体がその恩恵を受けられるよう あなたの改良点を公衆に発表する自由 (第 3 の自由)。 ソースコードが入手可能であることはここでも前提条件となります。

とのこと。なぜこのような自由が必要なのかを考えるときには、下記のような状況を考えてほしい、とのことでした。

自分が使って良いと思ったプログラムは、自分の属するコミュニティの他の人にも、つかってほしいよね。Stallmanによると、そのプログラムが残念ながら不自由なものだった時には、不道徳をはたらくしかなくなってしまう、とのこと。つまり、ほかの人にも、利用許諾の制限に反してそのプログラムを使わせるか、あるいは、せっかく良いものをほかの人には使わせないか。

そういえば、ソフトウェア会社の知人と話をしていて、「オープンソースソフトウェア」の話題になった時に、彼が、「これからはもうソフトからは金が取れないのかなあ…」と不安がっていました。もし彼の会社のソフトウェアがフリーソフトウェアになったとしても、これまでと同じように必要な作業に対してお金を払うことに違いはない、と思うのだけれど、うまく説明できなかった。フリーソフトウェアの定義より、「『フリーソフトウェア』で問題とするのはいわゆる「自由」であり、価格ではありません。」という点をうまく伝えられるといいのにな。


作り手とその取り巻きだけが楽しんでる間は本物じゃない。その中身が理解できない人々の生活を変えてこそ本物だ


zunda <zunda at freeshell.org>